令和6年6月、梅雨入り宣言があった前日、満64歳となり偶然その日は、デイサービスへ出かけることに・・・。6月18日(前々日)に利用したとき、タブレットのカメラでスナップショットされる。事前行動とも言えそうな一コマに注目し、当日を迎えた。到着後、生活活動兼食事ルームに入り、つかの 間、A4サイズなるものを突き出されたと思いきや、これですべておしまい。「どうしますか。連絡帳のファイルに入れておきますね」。なんてあっさり何だろう。バースディを無邪気に喜ぶような年齢ではない。「午後のお茶で『きょうは学さんの誕生日です』とアナウンスを受け、額入りのLサイズ本人写真が渡された・・・」。10数年前の光景がかすかに残る私は、いまの通所介護には馴染め切れていないかもしれない。
帰宅後、ヘルパーさんにバックの中を見てもらい、例の(デイサービスでもらった)Aサイズ光沢紙を取り出した。花柄枠に写真ともに文字が並ぶ。「宮脇学様 64歳 お誕生日おめでとうございます この1年があなたにとって素晴らしい年でありますように デイサービスセンター職員一同 令和6年6月20日」。できたら、額入りにして自宅の室内に飾りたいとも考えた。結局は、食卓テーブ ル隅の壁に立てる形で置いたところ、とても反応がよい。訪問者(ヘルパー)から両手を叩いてもらう、私の誕生日をメモにする、祝い言葉を交えながら、お互いの年齢を確認し合うまでに発展する。支援者Cさんからは、増量握り寿司が届けられた。うれしい誤算となる。基はデイサービスからの贈り物であり、自宅でより効果が出てありがたく思う。
誕生日に何があったか、ネットでひも解いてみた。国内発だと「たばこ」だ。日本専売公社(現在の日本たばこ産業株式会社)から名称「ハイライト」が発売されている。が、皮肉ながら喫煙経験のない身、残念な限りだ。これより後、政界の動きは7月15日岸信介(外孫に安倍晋三氏)内閣総辞職、続いて19日第1次池田内閣が成立し、初の女性大臣(厚生大臣)が誕生している。たまたま今年は「岸田おろし」発言が活発化しはじめた。6月20日、 わが家の様子を聞いた記憶を思い起こす。梅雨どきで小雨模様だったが、農家の嫁になった母は早朝から段丘にある畑まで、牛を連れて作業に出かけた。途中で気分が悪くなり、また牛と一緒に帰宅する。家畜だった牛は懐いていて、母の指示をよく聞いたという。午前8時25分ころ、宮脇家に男の子が生まれた。それが私で、6人家族の仲間入りだ。
64回目のその日と、前後について書きつづっていく。支援者Cさんの後任選びは必至である。メールで問い合わせたところ、喬木村社協所属の地域福祉コーディネーターと補佐の2人が、早速、デイサービス内で私と会い、新たな支援者選びについて相談に乗ってくれた。いままで、支援を受けていた内容を説明し、自分の気持ちを伝えてみる。「一人は特別なときを除き、毎週日曜日の訪問で、主として室内の掃除、衣類整理、ゴミ出しをしてくれています。もう一人の支援者から、お金の引き落とし、村役場への申請書等提出・相談代行、病院との連絡・処方箋を薬局まで届けて薬代を払う、松本まで外来診察に同行介助、お昼の食事を買ってくる、日常生活全般にわたってサポートを受けています。支援は母と一緒のときからはじまりました。これまでの協力に対し感謝をしていますが、後任が決まればすぐ、遅くても来年の3月までで引退されます。同じ地 区の人がいればよいですが、それ以外でも構いません。よろしくお願いします」。延々と話す私に、相談内容をメモにとっていた地域福祉コーディネーターと補佐。少し息詰まるような雰囲気の中で、きょうの締めをする話があった。「分かりました。お二人は同じ地区の方ですね。再確認となりますが、ほかのところに住む方でもよいですか。お話を伺い、私たちも新しい支援者を探していきます。宮脇さん個人でも、よい人を見つけてください」。想定済みの相談回答だったと思う。つまり、内容説明の前者=お助け隊の支援範囲であり、より自由かつ手厚い手助けが=後者だと、結論づけられそうだ。理解ができた以上は、地域福祉コーディネーターのみを頼りにすることはない。介護支援専門員Aさんと、支援者後任選びに乗り出す必要ありか。現状の打開策としては、地区の民生児童委員と話の機会を持つことや、ヘルパーさん、ショートスティ施設の人にも相談をかけていきたいと思う。
5月下旬、自宅の「断捨離【断=入ってくるものを断つ。捨=いまあるものを捨てる。離=執着を離れる。物品に限らず物事も含めた思考】」をはじめてみた。「離=執着を離れる」に、重点を置く形にする。食卓テーブルに飲み薬などいろいろ置いてあり、気が優れずにいた。が、白髪のおじいさんこと、アマチュア無線家の訪問介護員さんに、ドカーンと腰を下ろす電子レンジを、食器棚の上へ移動してもらう。今度はベッドの向きを変えたいと話したら、とっさに行動を取ろうとした。ケアマネのAさんが知っていないとダメだと思い、私は止めに入ってしまう。そののち、訪問日の相談をした上でAさんと白髪のおじいさん、若い男性ヘルパーさんの3人が、ベッド位置の移動と確認をしてくれる。心配していたのは、わが家に訪れるヘルパーさんに、何かしら異論をたたえられた場合であった。が、すんな りとことが収まる。夜、休む位置が違うだけでも、別の場所にきているような錯覚が起きるもの。実際には、4年半ぶりで位置のカムバックを果たす。「母と暮らしたときは、こんな感じで休んでいたなぁ。横には、自作パソコンがあって、気が向けば夜中でもディスプレイを前にしていたな」。過ごした時間(とき)に戻るには、日常生活が自力でできないと不可能だ。しかし「執着を離れる」ことができただけでも、うれしかった。別のプロジェックトとしては、玄関入り口から室内に上がるまで間に、斜面のコンクリートを詰めて、スロープ化にしたいと考えている。気が向いたら、電動車いすで玄関を開けて、一人で庭へ出てみたい。つなぎがまだある。母が過ごした部屋を整え、介護保険利用者を一人募り、自宅を共同生活の場とし、サポートハウス等にできないか。こんな形になれば、持ち家もまんざらでもないし、逆に「絵描きがお上手」と思われてもいい。行政サービスをフルに利用する。Aさんはどのような考えを持つかは分からないが、チャレンジ精神を失わずにいたいと思う。
確か1年ほど前、白髪のおじいさんこと訪問介護員が、もう一人と訪ねてきた。初顔で瞬間に、心の中で名前付けができる。必ずは常駐のヘルパーさんになるだろうと思った。今月中旬、48歳の男性ヘルパーさんが朝と夜に、顔を見せてくれる。スタート日は、オフにしてあった照明スイッチを入れたまま帰っていく。そのあとも、何だかやっていることが気になったりしてしまう。人相手の道に入れば、誰も同じ経過をたどるものと、自分にも言い聞かせていきたい 。お互いに慣れるまでの勝負とみる。細かいところまで目がつく、気難しい性格は嫌がられるか。亭主みたいだから、女性は(私を見ても)振り向かない。障害者施設に勤めていたことがあると言う新人さんを、名付けてこう呼ぶ。アンパンマンの名残ではないが、頭にハゲがありそれをヒントにした。本人には失礼であるが、あだ名「ハゲ頭マン」。
生活に少し変化が見えたと感じたら、もう6月が去っていく。誕生日が過ぎて書きはじめた本作文が、10日間足らずで締められそうだ。新鮮なできごとがあると、ペンはより滑りやすい。来月は暑さが待ち構え、ひと夏の経験があるかも・・・。良し悪しではなく、いくつかの体験を思い出にしていきたいものだ。
2024/06/30
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