文章書き、食べ物、写真、脳性まひ、希望、夢、前向き、介護職員、ヘルパー、電動車いす、散歩、パソコン、ホームページ作成、ラーメン、うどん、握り寿司、長野県、喬木村、不自由さのないマイナス面をプラスに持っていく生き方のページです。
コ ラ ム
心 の 窓 |
過去のコラム |
これまでに「コラム」で紹介したものを、丸ごと納めていく。リラックスタイムにアクセスしてほしい。 
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最新コラムが一番最初となります。
父のメッセージ!
核施設を保有する国(イラン)が、隣接の国家(イスラエル)から狙われる。仕打ちをしなければと、今度はイランがイスラエルに攻撃を開始。これが現実だ。私たちは事態を見守るしかないが、今回の過ちを繰り返すことのないように努める責任を背負う。ときは第2次世界大戦で中国に渡り、支那事変の際に栄養失調に陥り、飢え死に寸前の柳瀬嵩下士官兵はドラマだと、新聞記者特派員だった父の遺品(当地で書いたメモ)を持ちながら地面に倒れた。「僕はもう餓死するだろう」と、夢で現れる父に打ち明ける。そのあとで、父親からのエールが聞こえてきた。「父さんの分まで生きて、お前にしかできないことをみんなのためにやれよ」と・・・。いや、それは夢ではないと思う。人は生死のふちにいるとき、最愛の人物に出会うような気がしてならない。自分には、柳瀬下士官兵のように生死をさまよう体験はないけれど、ときには友だちみたいに語りかけ、親としてしっかり叱ってくれた父の面影が浮かびそうだ。この瞬間、どんな言葉が聞こえてくるのだろうか。父のメッセージを胸におこう。2025年6月21日
おじさん、おばさんと一緒に過ごす!
いまは亡き母より2つか3つ年下かとも思う、地域のデイサービスに通う女性が率直に語った。「自宅からの送迎をはじめ、リハビリ、入浴、お昼の食事、レクリレーション、1日笑顔で対応する職員の皆様に感謝をします」。足腰が弱り外出ができなったり、一人暮らしだとコミュニケーションが限られてしまう場合が多い。私たち後期高齢者には通所施設の利用が、人との触れ合いを維持できる唯一の場所だと力説している。(地方紙の投稿欄から一部参照)健康な身体で生きてきても、年齢ともに起こる老化現象に(切ないけれど)勝てる世の中ではない。こうした生活環境下で、精いっぱい余生を歩んでいく。ケアをする側、受ける側とも、心の結びつきが深くなる相乗効果の表れとなるか。形式では分かるような顔の私だが、歳の違いもあり、いままでは高齢者通所施設に馴染めそうもないでいた。きょうから、自分も前期高齢者の仲間入りをした。私の誕生の源となった両親と、年齢の近いおじさん、おばさんとでひとときを一緒に過ごす。そして、スタッフには感謝の気持ちを忘れないこと。心新たに、デイサービスのよさを探求したい。2025年6月20日
楽しくなる交流サイト!
数日前の地方紙の投稿欄で、59歳会社員の文面に眼(まなこ)が留まる。何かをはじめようとしても、ほとんど三日坊主だったというが、3年連続日記を書き出したらやめられなくなったそうだ。1日5行のスペースには「いやなことは書かず、印象に残ったり好きなこと、お昼に出かけたラーメン店の様子などを書き記す」という。気になるのが、記録である。文字にすると保存ができる、そこのマイナスとして文字が働いてしまう恐れを感じるときだ。もの書きが好きので特に注意をしたいが、公衆の場ではさらに慎重になる。
交流サイトはピリピリの連続。コメントはなるべく当たり障りのように書く。お互いに気分よくソーシャルネットワークを利用したいもの。そのうえで誰もが、投稿したくなる環境が整えられるよう、微力ながら努めていきたいと思う。人様に見られない連続日記だが、毎日楽しみにアクセスできる、そんな交流サイトを求めたい。2025年6月17日
晴れ晴れの気持ち!
自宅の北撮りに地区旧公民館があり、投票権を得ると時間前に並んで一票を投じることが習慣となる。投票所が別の場所となってからは、自分の歩行では無理な距離だったためマイカーでの直行となった。「なんの理由で一票を投じるのだろう」。唯一の政治参加への機会だと思っている。それと、一つの社会参加としても受け止めていきたい。年齢を重ね、身体の自由が限られてきたいまだから、このチャンスを逃すのももったいない。鵜吞み話とはせずとも、電動車いすで出かけるのははじめてであり、決断するまでに少しの時間がかかった。村議会議員選挙投票日の前日、玄関前から福祉タクシーを利用し、村役場と隣接する福祉センター内の期日投票所へ向かう。土曜日休日でもあってか、若い男性らが私と同じ場所へ足を運ぶ。支援団体スタッフの同行を得て、無事に自分の一票を投ずることにパス。考えているよりも実行か。そんな環境下にいることは幸せそのもの。雨の空模様であったが、私は晴れ晴れの気持ちである。きょうの一票から、愛する村のより一層の発展につながったならよいと思う。2025年6月14日
雲の時間調節!
たとえばの無線の交信内容。「沖縄は梅雨明けとなり、汗が噴き出そうです。・・・一方、北ではすがすがしい初夏の晴れとなっている札幌です」。ハンディトランシーバー(機種・RJX-601)で、こんなやりとりができる。アマチュア無線家の大衆にとって、スポラディックE層は待ち遠しい期待の〈雲〉。この雲は、特にいまの季節に突然現れ、普段は見通し距離しか届かないVHFの電波を反射し、遠距離交信を可能とする現象の一つ。だが対照的に、FM放送、防災無線などでは、同一周波数による混信を受けてしまう、悩める雲である。焦点としたいのは、雲が現れる時間の幅となるのか。できるなら長時間にわたっての交信を期待する無線家、それを望まない人たちとの電波利用目的の違いにありそうな感じ。雲はそれを承知で、空に出現する時間調節をしているのかもしれない。スポラディックE層さん、恐れ入りました。元アマチュア無線局より。(専門用語を用いていますが、ご理解をお願いいたします)2025年6月12日
仲よしの意味!
そろそろ出そうかなぁと思っていた。夏物の衣替えを終えた高校生らは、先輩から受け継ぎ、入梅が過ぎたいまも傘を片手に通学していると想像する。真夏に向かい、みんな半そで姿で暑さをしのぐ。衣服ショッピング店で見つけた、男物のハローキティちゃん絵柄のTシャツ話をしたい。このギャラクターは何者かとも思わず、ただただかわいいとしか見えないでいた。「かわいいから仲よくしましょう」。キティちゃんの生みの親と知られる株式会社サンリオ創業者辻信太郎さんは、戦争が起きない世の中となるには相手と仲よくしなきゃならないと、力説している。兵隊には行かずとも、甲府空襲の際みんな灰となる、その恐ろしさが身に染みたという。すなわち、キティちゃんの願いとは、世界の平和とみんなの幸せと言えそうだ。Tシャツを手に入れたときは全く知らずにいて、いまごろ分かる始末。好奇心旺盛だから、ほかのギャラクターについてのデータを探したくもなる。この夏、キティーちゃん絵柄のTシャツを着ると、すぐに仲よしの意味が頭に浮かんでくるであろう。2025年6月11日
横目からの視線!
右手に黒いステッキを持った、中学生くらいに見える男の子の容姿が印象的であった。雨降りの日、昼食を摂ろうと5階のレストランに入る。人混みを避けるため午前11時半にテーブルに着き、中華そばをすすっていたときだった。横目で見ていると、両親と思われる男女が男の子を見つめるかのように向き合い椅子に座る。すると、自分の中で推測がいくつか浮かんだ。「(男の子は)足の骨折か。それとも腫瘍も含めた骨の病気かな?」。障害だけが足にあるとは考えにくそう。ここは大学病院なので、どちらになろうとも想像することも難しい。私が男の子を見つけたのも、頚椎術後4年目になる定期診察が予約されていたからである。首のレントゲン検査後、診察の際、手足の可動域を確認したいと主治医より告げられ、入院時にお世話になったリハビリの先生と再会する。利き手の腕力測定、小さなものを箸でつかむ様子を見てもらう。「その調子だと・・・」と、励ましの一言あり。今回も支援団体からのサポートを受け、何も問題なく〈信大病院行き〉が済んだ。だけど、男の子のことが気にかかる。横目からの視線は、そのときだけのものとなるのだろう?。2025年6月4日
彼のもがき!
彼に聞いてみた。「どうして(SNS・フェイスブックの)中に入ってこないんだ」。この切り出し言葉が、ともに送った学校生活の思い出を、飾り気もなく彼は噴き語った。「お前たちは常識を知らない」と、常に口癖にしていた一部教師らの発言である。まだ未成年であったものの、一つの大きな建物での暮らしが長引いていたことが、非常識の流れとなってしまったか。ケアで大忙しの施設スタッフばかりか、共同生活のみんなもろくな話はしないでいる。知りたい情報があっても聞きようがなくて、こんな暮らしは楽しくない。やり方が分からないので、半端あきらめがちの彼がもがく。外部とのつながりが薄い…。施設利用者のみでなく、多くの仲間がいつも抱く切なさだと思う。どこへでも自分で行けたなら、困ることは少なくなるだろう。誰とでも対等に接するには、やはり常識を持たなければならない。多くの人と交じり合い知りたいことを学んでいく。これからの福祉のあり方ではないだろうか。2025年5月28日
自分を好きになりたい!
ソーシャルネットワークの一つ「フェイスブック」を2ヵ月前に復活させたものの、初心者としては戸惑いもある。「ここにくる人はどのように(私の投稿を)読んでいるのだろうか?」。知り合い数人だと何となく気にしてしまう。そんな中、検索もしないのに(偶然なのか)、アマチュア無線家グループの投稿がしきりに飛び込んできた。懐かしい。ガキ時代にタイムスリップしてしまう。「世界で一つだけのコールサインは、自分の名前とみなすこともできるから誇りに思いたい・・・」。初のグループ投稿をしてみたら、もう胸がいっぱいになる。「いいね!」などの評価が合わせて50強、コメントも多くいただく。「おいっおいっ、まわりがひどいくらい騒いでいるよ」。いつも訪問がある、ロカール局のヘルパーさんも気を吐く。それでもまだ青葉マークをつけていきたい。おごらない自分を好きになりたい。2025年5月24日
幸せを呼ぶもの!
笑い飛ばしそうになる。また体重の話が話題に・・・。1ヶ月ぶりの訪問リハビリで、理学療法士の彼に硬くなっている手足の筋肉をほぐしてもらう。ベッドに横になったままの私は、肩を支えながら起こしてもらう。自分の感触では軽々のような手さばきであった。そのとき癖言葉が出てしまう。「重たくはなかったですか?」。答えは「いいえ」だったが、続けた一言に注目。「気になりそうな体重なんですか?」。思いが見事に当たった。「自分は55キログラムなんですが、結婚する3年前は50キログラム前後でした」。内心数字のみで理解をし、うらやましく思う。入れ替わりとなった、若い女性ヘルパーさんから教えてもらう羽目に。「それはね、幸せってことだよ」。ほんとにそうそう。「幸せを呼ぶもの」が、そこにある。2025年5月21日
名前と志!
出生届とともに自分の名前がもらえる。何も問題がなければ一生のネームとなり、人々の心に残っていく。16歳春、アマチュア無線技士の資格を取り、当時の電波管理局から世界で一つだけの呼び出し符号が与えられた。局名入りの交信カードが完成。小さいがラジオ局開局みたいな錯覚が起きる。一昨日まで15年間使ってきた、メールアドレスを捨ててしまう。ネット社会においては日ごろあること。 このアドレスほぼ一つでやってきただけに、何か心細いものだ。名前を改めるとは簡単なのか。やればそうかもね。自分以外の人の受け止め方はどうだろう。もし無線局免許状再申請を行えば、最初のコールサインをまた利用することができる。名前に限らず、自分だけのものを大切に持っていきたいと思う。2025年5月17日
毎日の台本づくり!
口から出てきそうな言葉は何か。それは人との交わりから生まれてくる。「ありがとう。すみません」。特に目上の人に向けての、感謝の意が両者の意味とマッチする。NHK朝ドラ「あんぱん」では、御免与駅に倣ってか画面の字幕でも、ときどき「ごめんなさい」が表示されている。「すみません」を使ってもよさそうたが、ここではヒロインとその彼の間で、友だち・恋人であるため「ごめんなさい」が適切となろう。少しの違いだけれど、うまく台本ができている。あいさつ・感謝・反省の気持ち、日常において、知らぬうちに使う言葉の代表格だと思う。自分にふさわしい、毎日の台本づくりをしていきたい。 2025年5月15日
ネットの自由!
ソーシャルネットワークサービス(SNS)で一つの投稿を載せてみた。細々と先月から立ち上げた、自前のホームページPR作戦である。「大型連休をみなさん、どのようにお過ごしでしょうか。私は毎日が休日のようなものですので、今回はホームページの更新作業に励んでみました。いままで書き溜めてきました作文を、現在まで掲載をすることができました。文字だけでは読者に不親切だと思い、ネットの無料イラストを利用しながら、読みやすくを心におきました。よかったら、私のホームページにアクセスしてみてください。ページには「お友達のリンク」がありますので、相互リンクをご希望の方は、私までご連絡をお願いいたします。ホームページのネーム【マナくんちの部屋】(コピーして全文抜粋)」。名が知れていないので、落ち着きながらコツコツと歩んでいくだけ。そのうちに誰かのメッセージを見る機会があろう。たとえ、それがご批判にせよありがたく受け止めていく。この素晴らしさが、ネットの自由だろう。 2025年5月7日
体重のバロメーター!
痛いところを突かれた。「健康な体重とは…」。体脂肪や実体重を減らすのみが、理想な体格とは言えないらしい。偏食をするまたは適度な運動をせずにいると、重さだけが増えていき筋肉量が低下していく。高齢者に限らず、腕力などが衰えて生活にも不便さが生じる。自分の現在の体重は62.8キログラム。BMIにすると25.2となり、惜しくも標準値を飛び越し、太り過ぎのランクに入った。ケアを受けずに何でもできればよいが、この先どうすればいいのか。「昼寝をしない(食べたら横にならない)電動車いすに乗車中は、できる限り身体を動かす」。 こんなプログラムが自分に通用するだろうか。でも実行するだけ。一通りの血液検査もバッチリだったので、迷わずこれに徹したい。ヘルパー責任者の口から出た「久しぶりに会ったら、顔がふくっらとしてきたね。食べる量を加減して方がいいじゃないの」の一言を忘れまい。まさしく、体重のバロメーター。 2025年4月18日
IT関連の世界へ!
ホームページ作成再挑戦にあたり、レンタルサーバーについては初チャレンジとなった。(いままではプロバイダが提供するサーバーサービスを使った)まず、ワードプレスにトライしようとした。完全無料なんていう話はなく、すぐに割高な独自ドメイン取得が可能で、簡単そうな方向へ入り込む。そうでもしないと、はじめのステップからつまづく予感がした。手に入れたホームページ作成ソフトの案内に従った、サーバー会社との契約となる。メールアドレスも、好みネームで作成できる。サポートづきのおかげで、困ったことは遠慮なく聞く。そうした流れがあって、少しずつドメイン管理者としての知識も得られてきた。まだスタート台に立つ初心者だと自覚をし、自分ができるIT関連の世界の中にのめり込みたい。 2025年4月16日
有名犬と弟!
犬の多くは、教えたことはしっかりと覚えてしまう。とても賢いし、飼い主を裏切ることもない。「兄弟がいなくて寂しいだろう」と家族は案じ、秋田犬雑種が弟となった。祖父がつき添い、村の小学校へ通学をしていた私が帰宅すると、気配が分かるのか、弟は「お帰り、お帰り(ワンワン)」と、精一杯しっぽを振りながら迎えてくれる。かわいい弟だと素直に思えたし、たとえ教え込まずにいようとも、飼い主を意識する動物であると実感させられた。有名なのは忠犬ハチ公。雑種ではないから体格がしっかりしている。ハチ公は人(飼い主)との関係から見たとき、弟と一致する行動が分かる。有名犬と弟はいま、天国で楽しい毎日を送っているであろう。思い出を残してくれた彼らに「ありがとう」と言いたい。忠犬ハチ公の日に寄せて・・・。 2025年4月8日
みんな努力している!
「努力する…」。響きのある前向きな意味合いを感じる。それでは、こんな短い文は適当か。「(既婚の男女が)離婚に向けての努力をする」。あり得ないことか。思考がさまざまな中で、決して遠慮されたり、捨てられていく言葉ではなさそうだ。毎日、介護スタッフらと接している私が、ふと頭から浮かぶのは、努力の二文字。介護が必要な人に寄り添い、少しでも分かち合おうというその気持ち、すごいことだと思う。スタッフらがそれを努力と意識するか分からないが、真剣な姿勢がまぶしい限り。ときには悩み、くじけながらもたくましくなっていく。努力とは、人を奮い立たせ成長へ導く力がありそうだ。みんな努力している。 2025年4月7日
表現の仕方ここにあり!
「誤りがありました。(自分が)悪いのです」。それを素直に認めて、自分以外の人に謝る言葉である。子どものころの習慣で、私は「すみません」と言ってしまう。身体的なケアを受けたり、生活の支援を依頼する立場にいるため、自然と口から出る。理由のもう一つに、言語障害があり言いやすい発声言葉を選んでいるのは確かだ。不自由な一つであろう。四国・高知県には「御免与」という駅名称があると、朝ドラの「あんぱん」で知った。あやかってしまいそうだが、正式な日本語に変換するなら「ごめんなさい」となるか。表現の仕方ここにあり。 2025年4月5日
私の新年度!
新年度を迎えたとはいっても、学校や職場での切り替えどきだとしか思えない。それならば、さくらはどうなのか?。「パッと咲いてあっという間に散っていく」。江戸時代にさかのぼれば、白虎隊か、新選組だろうか。そして、同期の桜を思うとき、命のはかなさと尊さが頭から離れない。この時季、自分にとっては周りの方々の支援、ケアにおかげで生活が成り立つことへの再確認と感謝の気持ちを、新たにしていく。私の新年度へのはじまりである。 2025年4月1日
独り者で古い人間!
いつも使うごはん茶碗に、細かなひびが入ってしまった。実際に目で分かる割れ目ができた時期は不明である。最初に気づいた、男性ヘルパーさんの視力のよさは素晴らしい。「気をつけてください」。スタッフ用の連絡ノートに記入された。割れてしまったら、一番困るのはケアを受ける私本人。一人暮らしをしていると、自然に新しいものに替えよとしない傾向もあり、使えなくなるまで大事にしてしまう。「独り者で古い人間でござんす」。「断捨離」。資金が増えない程度で、古い人間から抜け出していきたい。 2025年3月31日
取扱説明書を読んでほしい!
若い世代でも「機械ものは苦手」という人もいる。知識がないからか?。そうでもなさそうで、学生のときに学んだことを生かす気がないとする一因もありそうな。それも例外ではないと分かった。「エアコンの点灯ランプが、停止ボタンを押しえてから9時間が過ぎても消えない」。迷いなく、修理依頼をしようとしたら、支援団体スタッフから助言をいただく。機内フィルター掃除をしながら言葉が続いた。「お掃除設定が常時ONになっていますよ」。こんな細かな設定が可能だとは知らずにいた。取扱説明書をよく読まなければいけなかったと反省しきりの、日曜日の午後であった。 2025年3月30日
ナマズが死ぬとき!
めだかが川で泳ぎはじめた。草花も咲き出して、そこにチューリープ、水仙の芽も出てくる。ここまではよしとしたいが、そうはいかない。どうしても登場させたい生き物がいる。ナマズが地面で騒ぎ出した14年前の3月11日。この地域でも強い揺れを記録した。もしもナマズが死ぬときは、地球破滅の日ではないか。東日本大震災追悼の日に寄せて・・・。 2025年3月11日
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