50代後半までは、デジカメを持ち歩いていたマナくん。左手の自由が利かなくなってからは、極端に写真を撮り残す機会が減ったという。
近々、タブレットを購入して、どこへでも写真撮影を依頼していくとか。そうなると、このページ、面白くなりそうだなぁ。
ねぇっ、マナくん
Mana kunchi no heya
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 思い出スナップ  気が向いたときに選んだ写真を掲載していく。何が出てくるかは、そのときのお楽しみとなる。玉手箱の中とは違うが、マジック師の腕がほしいとも思う。それは、人頼りとなってしまうかぁ。
子ども 

 「母方の家族」 撮影日不明
 家族  「学(まなぶ)は、大物になるぞ」。母の横にいる祖父が、いつも口癖にいったそう。身体の不自由な子どもを産んだ、母への慰め言葉と受けて止める。教師をした後、地方政治に飛び込み、村長や県議会議員を務めた母方の祖父。大物にはなれなくても、孫であることに感謝の意を表したい。
写真説明…前列にいる二人は、いとこ。(自分はこの世で生きる前の時間)

 「父の入院」 病室にて 1968年ころ撮影
 父の入院  入院した当初は自己歩行ができない状態で、むくみから顔がポンポンに膨れていたとのちに聞いた。谷底から這い上がり回復してきたころの、この写真でも、顔のむくみがみられる。急性腎炎は恐ろしいが、それに打ち勝った父の精神力の見事さ。3歳の自分を囲み、左から父、母、母方の叔母。

 「両親と一緒に…」 自宅の庭にて 1965年ころ撮影
 家族  バック風景は、蚕飼育のための仮ハウス。専用テントで覆うと完成となる。
ひとり歩きは難しいが、子ども用三輪車にはどうにか乗っている。大病から生還した父は、そろそろ身体のエンジンがかかっていく時期。そのあとをついていく母も農業で汗を流す。わが家の家庭づくりは、この先から本番となる。

 「面会のうれしさ…」 施設玄関前で 1967年ころ撮影
 面会  機能訓練をする目的から、児童施設生活をはじめる。自分は電車で片道4時間を要する地へ行き、親子は離れ離れとなった。当時6歳の胸にはとても耐えがたい。「会ったときはうれし泣き、悲し泣きは別れの際」。施設生活のありさまであろう。この施設は4年間の生活だった。玄関前で父と手をつなぎ、ショートスナップに収まる。

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