Mana kunchi no heya
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文章書き、食べ物、写真、脳性まひ、希望、夢、前向き、介護職員、ヘルパー、電動車いす、散歩、パソコン、ホームページ作成、ラーメン、うどん、握り寿司、長野県、喬木村、不自由さのないマイナス面をプラスに持っていく生き方のページです。
コ ラ ム
心 の 窓
知り合いにメールで 「暮らしの原稿」を公開するようになり、その都度、季節のあいさつ文も前置きとして書く。知らずのうちに、脳の引き出しから「心の窓」という言葉を、メールの前置き文につづっていた。
書くことは「自分の心の内を表すかのようだ」。暮らしの原稿は我そのものという意味がある。
コラム風にする中で、少し違う感覚から「心の窓」を発信していきたい。不定期的でも、日常のささいな情報を集めていく。
コラム1作品のみを掲載します。
それ以外は「過去のコラム」に移動となります。
たまたまと偶然!
本当に偶然だった。月のはじめだけ無料となる地方紙ウェブサイトにアクセスし、自然にお悔やみ欄へと目がいく。すると、同じ村に住む保健室の先生(養護教諭)の名前が見つかる。お歳は96歳。先生と生前に会ったのは3年前だ。介護保険を利用して、自宅生活をメインに高齢者ショートスティへも出かけている私。行きはじめて1年が過ぎたころ、お泊り施設で先生が声をかけてくれた。私の身長を手で示しながら話し出す。「小学3年だった君は、私の腰あたりが背の高さだったね」・・・と。保健室の担当だったから、身体が小さめの私を気遣っていた。身長や体重のほか腕力、大腿部の太さ測定を定期的に記録してもらう。養護教諭としては1年間お世話になっただけであったが、先生宅へ伺い近況を知らせた。近年では会う機会がなく、もう頭から忘れかけたような状態にあった。施設での再会もたまたまだったけれど、今回の訃報に際しても偶然としか言いようがなさそう。ここで通用するとしたら、多少予測ができたされるたまたまの意味、訃報の知らせで用いた予知不可能な偶然の使い分けは適切となるだろうか。2025年7月2日
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