確か昨年の春ごろ、新聞に目を通していると、デイサービスの看護師さんにも関係した話が出た。「仏教の教えによると、すべての物事はつながりがあると言われている。影響を及ぼし合う因果関係によって成り立つ。他と 関係なしに独立して存在するものはないとされている」。普段の生活習慣や行動が、結果に影響を与えることを意識する中で、よい方向へ持っていけるという。AIチャットで、こんな回答をもらった。私たちは、時によって偶然とかたまたまの言葉を口にするが、みんなつながっていると思えてしまう。どんな接点があるか、それを自分のためにしていく暮らしが、仏教の教えの一つかもしれない。
2024年4月6日、長野県内をカバーする新聞社のウェブサイトを開き、目をお悔み欄へ持っていく。同じ村の人で、一生忘れまいと思っていた名前が見つかる。パソコンのデータで、当時書いた文書を探し出す。「北風吹く夕暮れ、公共施設内駐車場の一幕。1メートルほど離れて、軽トラックのうしろにさしかかった。ドライバーが運転席に乗り込んだ途端、赤色に続きバック灯が光る。自身の存在を知らせるため、愛用1本杖でナンバープレート付近をたたく。けれども、バック徐行の末、わが身は押され横向 きに倒れた。胴体含めて、高さ35センチメートルの右肩を運転席側後輪は、ゆっくりと上り詰め背中へ滑り落ちる。『止めてください!』の叫びが消されるように、ギアは前進へと入れ替わった。すなわち、逆ルートも通った《タイヤ感触》を知る。『紅葉マーク』と、一瞬の出会いである[なりゆき一文]の全文」。このとき負傷した個所は、アスファルト舗装につけていた左肩だった。左側肩甲骨骨折と診断され、左手指の痛み、しびれが1年ほどは続く。
単なる事故の相手だけでなく、父と同年だとも分かり、何か複雑な気持ちになる。喪主の息子さんもまた私と同い年。当初しきりに顔を見せにきた奥さんは、交通手段の手伝いを惜しまず「お買い物のときは何なりとお供をします」 と話し、親子2人のサポートに懸命であった。この一件でしばらく愛車から離れを得なくなり、被害者意識が強く働いてしまいがちに。週に1回、農協店舗への買い物や近くの名所にもドライブ名目で連れていってもらう。母と私はある料亭で支援夫妻と語らう機会も得たが、物事のつながりはそう長続きしなかった。「なるべく早く、支援の終止符を打ちたい」。私たち親子の甘えとは裏腹だという現実を教えられた思いだ。自動車保険会社の対応も論外とは言えず、幕切れを急ぐ気配の中で切なさが込み上げる。事故のほかに事件でも、相手がいてお互いにすれ違いを感じるものであろう。
左肩の回復を願い、病院生活をしてリハビリに徹する。そうしているうち、左腕が上がるようになり握力もついてきた。「これなら間違いなく、愛車の運転はできる」。事故の前と同様に、アクセル・ブレーキを手動装置で行える改造自動車に乗り運転再開のめどがつく。「しばらくの間、ハンドルを握っていないのだから、少し教習所へ行ったほうがいいよ」。自動車学校で運転に慣れることを勧める人 もいたが、主要道路を避けて、すぐ近くの堤防道(ていぼうみち)で運転感覚を取り戻すことにする。長いランクを経て負傷後に、はじめて母を助手席へ座らせ農協店舗まで行くことができた。心の言葉が自然に出て「やったー」。いままでやってきたものが、再び報われる思いがする。たまたまなんて思いたくはない過去話は、平成20年1月24日のスタートであった。
父が他界したあと、特定の親類人から聞かされた言葉が、この春、鮮明によみがえる。近くに住む支援メンバー「お助け隊」の3名と、介護支援専門員のAさんと私が会した。ときして遠い親戚を 名乗るCさんは、テキストコピーを全員に渡すと、こちらに視線を向けながら穏やかに話しはじめる。「学さんとつき合ってきて10年。送迎支援、村役場との相談対応、入院に関する手伝いなど、できることはやってきました。72歳を過ぎ、エンディングノート(人生会議)に移行したい思いもある中で、学さんも真の自立を考えてほしいと願っています」。独自支援を貫いてきたCさんの熱い思いが伝わってきて、感謝の一言に尽きる。人生の先輩でもあるアドバイスを、真摯に受け止めたい。何度も書き直しができる、自分なりのエンディングノートを一冊用意していく。親類人から以前にもらった一言「施設入所を考えてください」。それはどうしてなのか、勉強をするチャンスだと思う。
現在、住んでいる家は平成24年の暮れに完成した。バリアフリーが整った住宅なので、段差がある玄関付近を除けば、各室への移動は電動車いす利用でもできる。引きドアのノッブ、人感センサー照明、寝室の照明リモコンなどは、いま行き帰りをしているショート施設の使いやすさを取り込む。新築するきっかけは、高齢の母親と一緒に暮らすため絶対条件であると考えた。どこかで、こんな声を耳にする。「農家に家を建てるお金があるか」。本当のところは資金に迷いがあった。いま決意をしないと、親子とともに生活する場所がなくなってしまう。最悪の場合、母は介護施設か病院生活、そして障害者施設にわが身を預けることになりかねない。不安感が増大していく。「もう お金なんか関係ない。財産をすべて詰め込もう」。気持ちを切り替えてみたら、とても楽になった。交通事故の保証金も、このときは宝くじが当たったみたいに思えてしまう。思い悩み、長いトンネルから抜け到着駅が近づく。いままでたどってきた線路から建てた家は、自分の心の内ではまだ手放したくはない。
エンディングノートの外来語は、今回初耳だった。ショッキングな思いの中で、落ち着かずに知り合い数人へメールをする羽目となる。どの人も同年代で、個々の考えや提案、直面する事柄に触れていた。所有地の管理が大変になり、墓仕舞いを視野にする例。離婚から立ち直ろうと仕事にかける例。「断捨離【断=入ってくるものを断つ。捨=いまあるものを捨てる。離=執着を離れる。物品に限らず物事も含めた思考】」を一つに例える例。それぞれの見方が自分にとって「人生会議」となった気がする。
右手を包帯でグルグル巻きの状態。「どうしたのですか。大丈夫かな」。大声を出して聞いてみたが、返事はなく姿が消える。4月中旬、短期入所から帰宅して、Cさんに会った一瞬のこと。「72歳を迎え…」の話を、約半月前に聞いたばかりだ。果たして偶然であろうか。持論の一つ「自分も含めて、あすのことは誰も分からない」が、通用しているとも感じた。3日、4日経って右手にしていた包帯が外れ、いつものようにお昼の食事を届けてくれる。「変わらぬおつき合いのほどを!」と、メールをしたら「承知しました」の返信が届く。
所見はこうだ。家族がいない私にケアマネージャーのAさんは、支援者トップのⅭさんと連絡を取り合っていることは分かっている。サービスを受けるうえで、本人以外の人と情報交換をして、よりよい介護を提供する介護支援専門員さん。それを踏まえて、ケアプラン作成をはじめ、近い将来まで見越しているのだと思う。支援者と私を交えた今回の顔合わせは、Aさんにもよい機会だったに間違いない。心を乱し、いままでのリズムを変 えようとしていた。「もう少し冷静になれ」と、自らに忠告する自分がいる。感謝の気持ちを忘れずに持っていきたい。物事のつながりを意識しながら、過去から現在までを振り返ってみた。仏教の教えの通り、みんな綱で結ばれている。この綱を長くつなぎ、自分のものにしていきたい。
2024/05/30
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