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文章書き、食べ物、写真、脳性まひ、希望、夢、前向き、介護職員、ヘルパー、電動車いす、散歩、パソコン、ホームページ作成、ラーメン、うどん、握り寿司、長野県、喬木村、不自由さのないマイナス面をプラスに持っていく生き方のページです。


 子ども本を読まないのに なぜ書けるの? 子ども

 2024年3月

アヒル「水タンクの表に背もたれがあり、赤色の便座シートが見える。両側には肘掛けオプションを設置、アヒルが便器の中でゆったりと泳ぎ、コメントには『トイレでスッキリ』と書き記している」。書籍の表紙カバーに、印刷されているイラストを文章で表現してみた。誰でも入りたくなりそうな、洋式トイレを想像してしまいそうである。どんな内容の一冊かと思ったら、介護スタッフ向けの書物だった。


色鉛筆介護アドバイザーで「ケア・プロデュースRX組」代表、青山幸広先生の著書「おむつに頼らない、排泄介護術(雲母書房刊)」を、手にする機会に恵まれた。自分が「おむつだから」という単純な気持ちで、全頁数114ページをペラペラとめくる。「何をしたいのか、どこかへ行きたいのか、その人の胸の内を覗いてみよう」。文中にあった言葉に目を通すと、カラーマーカーペンでマーキングラインを引きたくなった。何も介護支援を必要とする人に限らず、ほかの人間だって理解の一歩がはじまる瞬間であろう。この基本には、初対面だとなかなか難しい。現場でも、意思疎通の単語を思い浮かぶ場面があるらしい。


家族に恵まれた私には13年ほど前に建てた持ち家があるし、近所にいる支援してくれる方の信頼が厚く感謝に堪えない。反面、障害福祉の場合、出生時から高齢に至るまで一生、何らかのケアを受けていく。ある意味で一般社会に出ることもないまま、施設での生活を余儀なくされるケースも少なくない。本人が育ったところが施設だとすれば介護スタッフ、故郷や接してきた人は限られてしまうと思う。たとえば介護職員が、その人の思いを探っていくことは困難を極めていく。こうした状況で、高齢福祉にかかわらず、意思疎通の課題がある。対応策が浮かばなくて、職場を去っていく例が絶えない一方、前を向いて模索し続ける若手の存在があると聞く。福祉は共生へ一歩ずつ、前進していることは確かだ。


事例①。介護施設で職員から嫌われる高齢女性Aさんについて、著書はこう書いている。「ベッドから起き上がろうともせず、毎日毎日横になった状態で、おむつにおしっこをしている。食事も寝床で済ませ、呼び鈴を押す様子はなく、私の話も聞く耳を持たない。気強さが見えるおばあさんの、気持ちをほぐすためには、こっちも辛抱強く接していこう」。チョコレートとヨーグルトが好きだという情報をつかみ、施設内の売店へ一緒に向かうチャンスがあり、そのとき青山先生(介護長)はトイレに行きたくなる。そんなきっかけが、おむつをしていたおばあさんにパンツを穿く、ポターブルトイレからお手洗い介護ベッドへ行く、普通の生活を取り戻そうと、気持ちに変化が見えくる。「これは驚いた。本当に、張本人なのか。介護長以外でも、このおばあさんは相手にしてくれる?」。多くの介護スタッフに稲妻のような衝撃が走り、改めて「人を知る」重要性を理解するに至った。「おばあさんがお手洗いに行って(青山先生がいる)隣の個室から(Aさんが)おしっこをする音が聞こえた。やればできる。介護する立場で達成感があり、一生忘れない『おしっこの音』となった」。青山先生の経験と知識を合わせた一例である。


令和5年1月30日、セミナーの依頼があって、私の利用するショートスティ施設へ訪問した青山先生に、はじめてお目にかかる。「CDにある歌詞は、あなたが書いたのですか。心に響くような詞ですね。笑えそうな歌もあるね」。何気なく近づき、親しみやすく、気兼ねも見せずに話しかけてきて、少しびっくりした。続けてもう一言。「CDの残りがあったら友人にも聞かせたいので、青山に何枚か譲ってくれませんか」。そのあと、ひとり風呂の介助やベッドから電動車いすへ移乗時の動作で、スタッフとともに指導を受けた。自分の手落ちで、まだCDを渡す約束は果たせていない。


事例②「死んだおじいちゃんの墓参りに行きたい」。高齢女性Bさんは、慢性関節リウマチを患い、両足が棒のように伸びていて、ちょっと身体トイレを動かすと「痛い、痛い」の連発。おむつをはじめ、ベッドで一日中寝たきりの暮らしをしている。「霊園はどこですか」と尋ねたところ、Bさんが「四国の松山だよ」の返事がきた。現在地は青森市にある施設のため、行くとしたら飛行機を利用するかしない。「口走りに連れて行ってあげるよと約束した。困ったなぁ」。青山先生は必死に考える。おむつ交換をどこでやるか、どうするのという質問にプラス極めつきの切り札に「おしっこが分かりますか」と、Bさんに答えを出してもらう。ブーメランみたいに一発、一言「尿意は分かります」。これがきっかけになって、Bさんの介護計画がスタートした。「ベッドから起きてポターブルトイレに座る→ポターブルトイレからベッドへ移る」。何度も同じ動作を繰り返すうちに、介護職員が簡単に(Bさんを)ポターブルトイレまで移動できるようになった。トレーニングに耐えてBさんは以前よりも、身体状態がよくなる。「尿意・便意が分かる、できるだけ自宅生活を取り戻したい」。利用者のその気持ちを汲み、役に立とうするのが我々の仕事だと、Bさんに接しながら、はじめて青山先生は学び得たと話す。


2024年、立春過ぎとはいえまだ寒い日、いつもの施設で丸1年ぶりに青山先生と再会ができた。ひとり部屋でテレビを見ていたら、親しみやすい顔がこちらへ眼(まなこ)を向ける。何から話そうかと迷った。が、この前の質問「やりたいことは何かありますか」。とか、テレビ映像をヒントに使う。一方で、事例②のBさんが頭に浮かび、話す内容が固まる。「この歳になるまで、飛行機に乗って旅をしたいことがないです」。私の話は、青山先生の耳に届いたと思う。


養護学校から地元小学校へ転校した3年生のとき、教室に貼ってあった日本地図で最北の島、北海道に興味を引く。人の横顔みたいな島の形が面白くて、広告紙の裏面を使い、北海道の地図をまねして書いた。一時は島と心の距離が遠くなったけれど、再熱したのは高校生になってからだ。ハンディトランシバーを持った時計台ら、思いを寄せていた島の知らない人と、アマチュア無線で交信ができた。思わず、胸が高まる。好物の麺類なら、サッポロ味噌ラーメンが恋しくてたまらなかった。現実を見ると私の場合は、事例②のBさんとケア環境で重ね合わせてしまいがち。参ったな。さてどうしよう。


やりたいことはまだある。病院生活を過ごしてきた4年前から、パソコンを使い書き溜めている日記や作文を、一つにまとめたいという夢を持つ。自分の墓場へ持参するのではなく、広範囲に公開したいと考えている。どういう形で発表に持っていくか模索中だ。ネットを利用した方法が、もっとも手軽であろう。望むところは、見知らぬ人々まで一冊ずつ手にしてもらいたい思いが強い。自費か、企画出版のどちらかで決めたい。まずは今年暮れまで、毎月の作文書きに励み、公衆の場で読まれるような内容に整えていく。青山先生にはスタートの段階から、指導並びに支援をいただきたいと思っている。


著書にはこのほか、排泄介護をプロの視線で、実践写真たくさんの本をふんだんに使いより分かりやすく解説する、現場で働く人たち向けの「必至本」だ。青山先生には、まだ多数の関係著書がある。あくまでも今回は感想文のつもりで、一つの高著を紹介してみた。介護分野も奥が深く、当たり前の生活を支援する難しさがあることを知る。最後に、青山先生の今後の活動を祈念するとともに、介護エキスパートの養成がさらに進むよう願ってやまない。

2024/03/30

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