彼は理学療法士で今年、25歳になった。手足の屈伸、マッサージはさることながら、おしゃべりが好きみたい。顔を合わせるたびに、少しはおとなしくしてほしいとも 思う。でもいまは、他者の分野と思われそうな発声トレーニングを受けるのだと諦めて、お相手役に変身するしかない。3年間、お世話になった病院が初対面で、当時、彼は資格を取得して間もないフレッシュマンであった。知識と実務は高校卒業後、リハビリテーションの専門学校で学んだと聞く。なぜ、理学療法士を目指したかについては、思い出そうとしても浮かんでこない。きっと、みんなの健康・福祉を意識しての、取り組みだと理解している。
おつき合いが増えたのは、病気の症状が落ち着き、自宅へ戻ってからだ。令和3年11月、それまで病棟担当だった彼だが、はじめての訪問担当になり、また私と鉢合わせする過程をたどった。出番は月2回、介護保険のケアプランに盛り込まれている。彼は会話の中で「自分は〇〇です」と、話すときがよくある。女性なら「私」、「俺・僕」は男性から耳にすることが多いし、自分の姓を言う人もいる。だから「自分」の表現は、新鮮に聞こえた。自由でいいと思う。
本年2月、バレンタインデーの前後「結婚することになりました」と、聞かせてくれる。何かにつけ、彼が口にしていた。「病院職員は女性が多いんだけど、めぐり逢いが少ないです」。婚前子持ちではまずいと思い、急きょ、式の段取りを調整中だとか。 そして、彼女と赤ちゃんを含め、3人の住処を新たに探しているらしい。今どきのZ世代に間違いはなかったが、すさまじい展開に言葉がない。たとえば、自分が25歳になる息子の親だったとする。「好きなようにすればいいよ。けれど、世間の目があることは心に置いておけ」。このセリフは、さだまさしのヒット曲「関白宣言」と、一部が類似しているかも。結局、現実でなければ、想像すらできないだろう。訪問中のタイムは約40分で、血圧測定からスタート。立ち上がりの練習は、ベッドから身体を支えてもらい、彼の肩につかまるスタイルで、ゆっくりと3回繰り返す。
最後に、電動車いすに移るテックニックを再確認。立ったまま、後ろ向きから車いすに乗る動作は、意外と難しい。完全に、自分の身体を相手に預けた状態だ。でも、介護スタッフの多くは、私のお尻の下にフラットボードを当て、スルッと身体ごと滑る格好で、車いす乗車を支援してもらっている。そのほか、脊椎が曲がっていて、寝返りのストレッチも欠かせない。「人差し指をのど元へおいて、あごを動かす」。嚥下に関する指導は、おまけ付き。車いすの簡単な調整や困りごとも聞いてくれる。玄関口でちゃんと頭を下げて帰る、さわやかな若手だ。
奥さんの出産予定日が6月20日だったが、もう少し先なるという。ここまで来たら、体裁など気にせずに、元気な子供を育てほしい。村の入居抽選会で選ばれ、市内のアパートから村営住宅に住みはじめた彼は、私と同じく一村民となった。この先、長い仕事を味わい続けるのは、大変だろう。奥さんもリハビリの先生だし、夫婦同体で臨めば、夢が膨らむに間違いはない。いろんな利用者と触れ合いながら、子供に親の背中を見せられるようなロードを切り開いてほしい。
「新郎新婦に改まって、一言。どんな家庭を目指しますか。子供は何人育てたいんですか。まだ思いつかなければ、ネットアクセスプロバイダーから探す新機能ソフトAIに聞いてみるものよいかもね。偶然、ヒットしていたならば、お幸せに」。
2023/06/10
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