Mana kunchi no heya
タイトル 家本文へジャンプマナくんちの部屋
 メニュー一覧
 マナくんちの部屋トップ
 自己紹介
 いたずら作文
   過去の作文
 コラム
   過去のコラム
 思い出のスナップ
   過去の写真
 公開・終活ノート
 お友だちリンク
 掲示板
 お問い合わせ
 
 前のページへ
 つぎのページへ
 サイトマップ


鉛筆いたずら作文鉛筆

文章書き、食べ物、写真、脳性まひ、希望、夢、前向き、介護職員、ヘルパー、電動車いす、散歩、パソコン、ホームページ作成、ラーメン、うどん、握り寿司、長野県、喬木村、不自由さのないマイナス面をプラスに持っていく生き方のページです。


 子ども本を読まないのに なぜ書けるの? 子ども

 2023年5月

医師人の声を聞き取るには、補聴器装着もやむを得ないと思った。令和2年、病院生活が始まって3ヵ月位が経ち、新たなパートナーを迎える。ポケット型ケースの中身は、集積回路のほか単4電池が1本という構成だ。確かに、聞こえやすくなった。それから丸3年が過ぎる。60年間、自分の耳を頼りに人とのコミュニケーションに徹した。低い音は聞き取りやすいけれど、高音が苦手である。また離れたところから言われると、分からなくなってしまう。これは、耳鼻咽喉科で受けた聴力検査で実証済みだ。


物心がついたときから、相手の顔と口の動きへ視線を向ける。聴力不足を補うための行動だと思う。だが、耳が遠いと何度も指摘されてきた。なんだか悲しかった。「赤ちゃんのとき、お前は泣かない子だった。だけどなぁ、ある夜から泣き出して困ってしまい、あやかったり、おぶって散歩に出てみたりと、いろいろ試したが、なぜご機嫌が悪いのか、見当がつかなかった」と、当時の様子を父は話してくれる。耳から膿が出ていることが分かり、村の医院を訪ねて、中耳炎だったと知ったらしい。


ヘットフォンこのとき、脳性まひはすでに罹患済みだったし、中耳炎が合併症とみなされることはまれだと解釈する。同じ障害を持つ仲間に「お前、耳が遠いのか」と、はやされたりもした。加齢も手伝ってはいる。2年ほど前から、耳鳴りが気になり出す。眠っているとき以外は、内耳の中で男女合唱コーラスによる熱唱がこだまする。合わせるかのように、ジージーという雑音でさえ混じっている。これらの騒音、夜中に目が覚めると、最も静かでほっと一息つく。気が昂れば、その逆なのだ。


耳鳴りの慣れは大切でも、考えごとをしているときや文章をつづる際に、不快な思いになってしまう。気休めと思えるようになった頚部動脈に作用し、めまいにも効力がある内服薬を、そろそろやめてみようか。一般には「男性が低音に対し、高い声の人は女性」。でも、よく耳を澄ますと、高音でも比較的低い声の人がいる。たとえば、ケアマネさんや一部のヘルパーさんであり、会話は気兼ねもない。


2週間ほど前に運悪く、愛用補聴器から音が聞こえなくなった。毎日使うものだから、大役を果たしてくれたと感謝したい。しばらくは補聴器なしで生活することが、つぎのステージだ。やっぱり聞こえ方が、幾分違う。音量減少だ。だから、会話では集中力が増して気が抜けない。一方、OK生の声が分かると、うれしくなる。触れ合う多くは介護職の人たちであり、分からなかったら遠慮なく聞き直していこう。自分の耳で聞きより一層、人との関係を深めたい。これでポケット型補聴器は、安らかに眠りつけるであろう。「長い間、お疲れでした。おやすみなさい」。

2023/05/06



子どもころから、大の麵類好きである。いまから7年ほど前の、思い出話を書き記したい。天竜川対岸西側ラーメンに、初耳のラーメン店がオープンすると、新聞折り込み広告で知った。その名も「ラーメンふたつ矢」。太麵・中細麵・細麵など替え玉を選択したり、スープは豚骨・塩味・醬油で、メニューもいっぱいありそう。もう目の色が変わってしまい、さっそく、誰に連れていってもらおうかと考える。思い切って、ボランティアのCさんにお願いしてみた。「□□日〇曜日、お昼なら都合がよいです。AM11時45分、お迎えに行きます」。手書きのファックスが届く。限られた外出の中で、うれしい返事がくる。新店のラーメンを味わい、のちも3年間、毎月2・3回、ランチタイムに通った。


同じ地区に住む次男坊のCさんは、会社員を経て農業に変身、その傍ら住民の相談を聞く、民生委員顔負けの助け人だ。ちなみに村議会議長を長年務めたお兄さんと、なかよし兄弟。2020年の春、母親を亡くして一人暮らしになった自分。病院生活では「友人」の間柄を用いていたCさんが、ボランティアでもない「遠い親戚」の上着に着替えた。田舎の象徴とみようか。父方のいとこと義理の兄弟にあたり、少なからず、わが家の家系を知っているのが理由だ。


入院と退院を繰り返していても、見放さず近寄てきてくれる人。頚髄症のため、首を固定する手術に挑む目的で2ヵ月間、松本市の信州大学付属病院へ入院したときも病院、何度か顔を見せに訪ねてくれた。入退院のほか、定期通院でも介護タクシーに同乗で、私の身体を気遣うCさんだ。全国で展開する「アルソックガードシステム」という、綜合警備保障会社の介護サービスがある。術後、はじめて家に戻った夜、眠れずベッドに備えつた、見守りサポート機器の救急ペンダントを押す。警備スタッフから呼び出しを受けて、Cさんがわが家へ駆けつけた。「どうした?。家に慣れないのならもう一度、リハビリ入院を考えたらどうですか」と、ぽつり一言。


そこへ介護プランに従い、ヘルパーさんが居合わせて寝返った。Cさんを見ながら「せっかく家へ戻られたのに、そんな言葉はないでしょ」。介護保険の要介護4に認定が決まり、新たなステージの中、遠い親戚の迫力あるムチと、外からの優しい言葉を聞き取り、とてもよい刺激になった。若いころ、祖父や父から教えてもらう。「人に何かアドバイスを受けたら、素直になれよ」と。これは、人間関係を保つために先決だ。まだ満63歳で、夢がいくつかあるけれど、目上の人からの「そろそろ、後々のことを考えておくのも大切だよ」との一言に、謙虚な気持ちでいたい。


ハート退院後の2年目、すっかり寒くなった秋冬のある日、あったかそうなベストを、Cさんさんが身に着けてくる。「何色がいいですか」と尋ねてきたので、はっきり「茶色です」。真新しいベストのプレゼントだ。また、年が明け春めくと、毎日履く靴の贈り物があった。4年間、わが足をサポートした靴から、新品へバトンタッチ。どっちも、遠い親戚の意味を持っていると思う。自宅にいる土日のお昼は、Cさんの出番だ。「きょうは冷やし中華と、おやつにどら焼きをお願いします」。こちらの注文にメモを取りながら、せわしく姿が消えていった。


ことわざに「遠くの親類より、近くの他人」がある。ちょっと、自己流に手直しをして「遠い親戚に限らず、ボランティアも大事」とする。答えは、Cさんの胸にありそうだ。村から支給された、福祉タクシー券つづりがそばにある。いつになるか分からないけど、必ずCさんのスマホンに「今度の土曜日、一緒にラーメン・ふたつ矢へ行きませんか。あなたの分はおごりますよ」と、メールを送信したい。夢の返信がくる日にあわせて、いまから心の準備をしたい。

2023/05/27

 このホームページのすべて情報を無断で使うことは禁じます。