令和5(2023)年の正月を、ショートスティー先で過ごしている。ユニットごとに出入り口の扉を見ると門松飾りがあり、年の始まりらしい。去年お世話になったユニット2ヵ所の門をくぐったら少しの間、会っていない利用者と職員のかぶれに変わりがなく、安堵の思いだった。
今年の抱負なんて言えるほどではないが、目標を立てた。身体状態を悪くさせずに、日常生活の中で一つでもい いから、できることを増やしたいと思う。考えているのは、入浴方法と食事である。機械浴に頼っているが、入浴用椅子に座って、浴槽に入れたならば気持ちがよい。おかずは刻みと設定されて1年以上が過ぎ、噛まずに食べることは常識となった。この2点を打破したい。では、これから何をすればよいのだろう。嚥下を含め、リハビリに尽きそうだ。回復期病棟の門をたたき、みっちりトレーニングに励む。結果はどうであれ、努力しなくては始まらない。医療機関が認めた情報を持って、短期入所施設やディサービスへ飛び込みたいと思っている。
この試みは、次回の介護保険サービス会議となる6月以降とし、ケアマネさんはじめ、周りの人たちのご理解と協力、支援をいただきたい。飛び跳ねるウサギのように、一歩前進を目指す。
2023/01/04
「じまい」が後につく言葉を、紙面の投稿欄で見つける。頭に「墓」がついていた。お墓の管理で困っていたが、住職と相談し永代供養地への移転を決め行政手続きも済ませたと言う内容だ。跡継ぎ難や核家族が増える中、他人事ではない現象か。
先ごろ、いとこのお嫁さんがわが家の墓参りを兼ね立ち寄ってくれた。お礼を言ったものの、自分は丸3年もお墓に行っていない。だから、墓地の様子は全く分からない。生まれつきの障害に一人暮らしの身と知る親戚をはじめ、通りかかった地区の皆様が枯れ草などを端によけてくれると思うしかできない。同時に感謝の気持ちを心に留めたい。養護学校で共に学び生活トレーニングをした、仲間から賀状が届く。ここでも「じまい」の文字が躍っていた。「書くのがおっくうになった」や「身体がきつい。これで終わりにします」が、その理由だ。昨年の暮れもらった喪中には、同年の訃報を家族が知らせてくれた。
スマートフォンの普及で、年賀はがきの売り上げが低迷している。手が不自由だと、スマホも操れない。不便さは省けないが、あて名書きをボランティアに依頼する手がある。考えてみたい。響きがまちまちな「じまい」の一言が、プラス面となるような心持ちはできないかと…。
2023/01/11
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