「人生は何度でもやり直せる」。何故かこの番組内容の言葉に興味を持つ。心の病をヒップアップしているのか。打ち消し、社会参加に関係がある。引きこもりゼロの町、秋田県藤里町社会福祉協議会の取り組みが紹介された。窓口は医療、福祉でもなく周りの視線にあると、社協事務局長さんは話す。「見て見ぬふりはできない。専業主婦から社協へ飛び込み、引きこもり状態にある男性と出会い、何かとかしたいと思った」。学校や職場へ行きたくない、次第に家だけでの生活となっていく。いじめや学び舎になじめない、再就職先がなかな か見つからないという実態。原因は何なのか。当時、福祉担当だった事務局長さんは、当事者の気持ちに迫ろうと必死。そんな中、同居する親が死に6カ月後には引きこもりの息子さんが病死する。「引きこもりは怠け者」。町民の集会で、助けなければ困る人にもっと目を向けるべきとの反論が上がる。「ならば親御さんがいなくなったら、残された子どもさんはどうするんですか?」。静まり返ってしまい平行線のまま。のちに同僚らの力を借り、引きこもり状態にある人の統計をしたら、町内で110人余りが判明する。そのうち4人ほどを呼び集めた。公共施設の一室を改装し、誰もが一緒に汗を流せるお食事処がオープン。当事者と同年代で関わり合いが持てたスタッフは漏らす。「困っている人のためにお世話をするのが福祉の仕事。共に働き、ときには僕が教えてもらう。こんなことができるのははじめてだ」。よかったと感じたがそれのもつかの間、きてほしかった働きの手は全員、姿が消えた。制度での支援がない中、新たに思いついたのは基金訓練制度。失業者を救うためはじめた国の支援で、ヘルパー養成講座を受けながら、半年間毎月10万円が支給されるというもの。ただ参加者の就職率が低いと、次年度は訓練制度を使えない。みんなで力を合わせてつなぎを保っていく。資格取得→お食事処→就職。偏見を持たず、家にいたければそれでいい。外へ出たくなれば情報を提供し力になる。あきらめなかった事務局長さんの支援確立までの物語。藤里方式の引きこもり支援は、国の制度づくりの基礎となった(生活困窮者自立支援制度)。「NHKテレビ【新プロジェクトX〜挑戦者たち】2025年2月22日放送(メモを取り内容を抜粋記述)」。
わが家のリビングルームに手づくりの食卓テーブルがあり、壁の縦断面が薄い柱になっている。毎月一度、顔を見せる訪問看護師さんは、その柱を見ながら私に話す。「『五のあ!』いいですね。メモを取らせてもらいます」。A4サイズファイルに収まるデジタル文字で刻まれた教えが、目に留まったらしい。「あわてず、あせらず、あてにせず、あどならず、あきらめず」の5つ。母が友人からもらったもので、すぐに分かる場所の薄い柱に本人が貼った。うる覚えではあるが、この『五のあ!』に評価を得た のは、私にとってははじめてのこと。前上には振り子時計が動く。かわいらしいリラックマの顔が丸い盤に描かれており、針が時刻を表し振り子部分の胴体が興味をそそる。人によっては、リラックマ時計に視線を向けた後、教えのテキストにたどり着くと思う。私が好きなのは、藤里町社協事務局長さんの心を支えてきた『五のあ!』の中の「あきらめない」である。
村の社会福祉協議会が運営するデイサービスをはじめて利用したのは、15年ほど前だった。駐車場を歩行中に軽トラックと接触し、左側肩甲骨を骨折したのがきっかけとなる。各自治体のデイサービスは、介護保険サービス認定者ではないと通所するのは難しい。当時、障害福祉サービスの受給者だったことから、村役場が制度内容を詳しく調べたうえで、高齢者向けデイサービスの門をたたく。食事代を除くとあとは無料という話には、とてもありがたく思った。2010年前後は介護職員 を必要とする傾向の中で、村社協の通所施設へ行くたびに、ホームヘルパー養成講座の募集ポスターやチラシが目に飛び込んだ。頭のコンピューターから情報が出てくる。「左肩のケガが治ったら、ヘルパー養成講座を受講しようかな。知識があれば認められる」。介護職員になりたいというのではなく、資格を取得すれば、事務的な面でパソコンを使ったお手伝いができそうだとも考えてみる。そんな甘い思考は捨てて、障害福祉サービスに頼る方が自分にとって安泰に間違いはない。社会参加をしようとしてもどうにもならない、暮らしで守られており感謝するだけなのか。引きこもり同様の雰囲気に陥ってしまいそうな自分がいた。だが、歳を重ねていき、できないことが増えていくと、福祉制度のありがたさが分かる。確かな心の動き、そのものだろう。
「私は20年になります」。力加減があって、電動車いすに乗り下りする際のお手伝いや、食事の準備、後片づけを横領よくこなす女性ヘルパーさんの経験年である。同年代なのにどうしても、コミュニケーションがうまくいかない。ときたま口論となり、心の内では嫌な介護職員リストに入る。最近では最悪で、とっさに彼女の背中を叩く、髪の毛も引っ張ってしまう。罪を認めるためにも、警察官さんにおいでいただかなくては・・・と反省しきり。その日の夜はなかなか寝付かれなかったが、後で聞くと彼女も同じ思い でいたという。仕事ではあっても、その前に人間同士分かち合いたいもの。ケアを受ける私は、落ち着いて相手を見る、柔軟な姿勢を忘れてはならない。20年前にさかのぼれば介護保険制度がはじまって5年後で、各地で養成講座が開かれていた時代だと思う。経験が豊富な彼女に、今度はヘルパーを目指した理由を尋ねてみたい。
結婚生活3年目を迎えたという昭和54年生まれの男性は、アニメ入りのジャンバーを着込み、短くカットした黒髪がお似合い。「きょうのお昼はね出前を頼んで、餃子ラーメンの大盛を食べたよ。おいしかった」。午後9時半に訪問してくれると、彼は視線を同じ高さにしてこちらに近寄り向き合った。話を私に合わせて言う。「俺も食べたいな。一緒に食うか」。電動車いすからベッドに移るケアを受けると、また一言が出た。「何でも言ってください。俺ができることならするよ」。なんて素直で真っすぐなかわいい奴だ。「年齢からみても、君は私の子どものように思えてしまうよ」。勝手のいい本音を吐こうとも、表情一つ変えない気が合う男性ヘルパーさん。「俺にはまだ子どもがいない。できないのではなくて、つくろうとしないのかな」。私は答えを出す。「つくろうと思えば大丈夫だよ」。飾り気のない言葉が好きになった。気が趣いたら、ぜひわが家へ奥様とともに訪ねてほしい。仕事は切り離してもらい、常識から外れたその日を待ちたい。
お昼の時間帯には、比較的若い奥様数人のヘルパーさんが担当になるときが多い。黄色い声にクスッと笑う。「わあわあ、おいしそうですね」。このタイムは食事の支度をしないため、出前あるいは支援者から届けてもらうものばかりだ。食べ終わり満足顔でいると、彼女たちの心理も動きそう。うちの少し年齢が離れたヘルパーさんが話す。「何日か前、お休みの日に○○○ラーメンへ夫と2人で行ってきました」。いつもの出前を頼む飲食店で、しょうゆラーメンを注文して帰りにはバレンタインチョコをもらってきたみたい。気が合えばお互いにメリットがありそうかな。ゆっくりとした動作を好む私は、ラーメン店 へ出かけたヘルパーさんの身体介護を評価しているが、その分時間内にこなす仕事は限られてしまう。天秤にかけても人それぞれで、良し悪しは測りきれない。自然と回答が浮かぶ。わが家へきてくださる介護スタッフ各位へ・・・失礼もありますが、これからもよろしくお願いします。
引きこもりゼロの町で、ヘルパー資格を持つ人の中には、介護福祉士、施設職員、社協採用などで再就職をしたケースもある。最初の仕事はみんなまちまちで、福祉の現場にやってきたのは偶然なのか。一時、社会から見放され谷底に落ちた経験が、人に優しくできる気持ちを補う。一方 で見つけた職業なのだと思う。「人生は何度でもやり直せる」・・・その通り。こんな道を歩んできた人が、私のケアをすることだってあるかもしれない。めぐり逢いがあれば幸せだ。これからの共生社会に向けて、藤里町社協の取り組みに熱いエールを送ろう。
2025/04/28
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